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安倍首相の訪れていない小高地区、請戸地区を訪れて・・・・

勤務先は、肥田舜太郎先生を顧問とする民医連関係の病院。

運命のように舞い降りた、講演会のお話と、被災地見学のお誘いに即答し行ってきました。

常日頃、同じ気持ちの医療者を探し求めていた私にとって全国の民医連病院の方々との交流は本当に
感動でした。

拙いレポートですが、第二の故郷、福島をはじめ、思いをありのままに書いていきます。

どんな国になるんだろう。国民を無視した国策の流れに納得のいかない毎日ですが
声をあげることは決してやめたくありません。


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全日本民医連  第13回被ばく問題交流集会に参加して・・・
メインテーマ  ~広島・長崎から福島へ~


もともとは、広島、長崎被ばく者のために戦ってきたドクターたちの交流会だったようです
原発事故が起こって、テーマなどが様変わりしたようです。


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2013年 11月8日夕方、福島市へ到着しました。強風の吹き荒れる中、HORIBAのRADI線量計で放射線量を計測しながら歩くと、0.5~0.6マイクロシーベルトと、厚木市の10倍。植え込みでも、0.48マイクロと、2年8ヶ月経過してもまだまだ線量が高いことに驚かされます。夕方だったせいか小さい子どもたちの姿はほとんど見なかったのですが、マスクなしで歩く高校生の姿を見ると、あの事故のときからずっと、この線量の中、生活を・・・・と、胸がつまる思いでした。この国では、原発事故が起きる前には、放射線を扱う研究所や病院などでは、0.6マイクロシーベルトを超える場所は、放射線管理区域と呼ばれ、一般の方を立ち入り禁止にする法律があったのです。ですが、ただちに影響がないと、国は法律を無視してしまいました。事故当時は、1マイクロを超えるホットスポットがもっと、多数存在していました。
ニュースでは、毎日今日の放射線量が天気予報のように報道されています。



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9日AM7時~「全日本民医連被ばく問題交流集会」と書かれた、バスが福島駅西口より出発です。北海道から九州までの方々が総勢、40名弱で出発です。国道114号線~渡利、飯野、川俣、飯館、県道12号線~南相馬 道の駅で休憩し、国道6号線を浪江役場まで走行。
浪江町、請戸地区海岸、小高海岸、浪江町「希望の牧場」をまわります。避難解除準備区域及び、居住制限区域のみの視察なので、9.5マイクロシーベルト以上の地域には入りませんとバス内で渡された説明書きが配布されます。PM13時までの半日の被災地視察です。


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福島民報によると、現在、東京電力福島第一原発事故と東日本大震災による県内外の避難者は約16万人に上ると言われています。
原発事故により、進まない復興。平凡に生きる権利さえ奪う
普通の震災からの復興にはない、原発事故の影響の大きさ。
あの震災から、人々がどんな気持ちで生活しているのか。。。計り知れない悲しさ。バスで配布された、左の避難指示区域の地図を見ながら、都会の福島市でも、神奈川県に比較すると、高い線量を放っている。この地図以外にも原発災害による影響が残存する地域が広大にあり、決して線引きできるものではないことを考えながらの、身の引き締まる出発になりました。



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3.11後、原発事故が起こり、雪とともに多くの放射能が降り注いだ・・・人口6200人の飯館村。人々は現在、全村避難されています。飯館村の大事な農地は荒れ果て、除染土が農地に積まれ、ブルーシートがかけてあります。飯館村は、当時44.7マイクロシーベルトでした。その意味も怖さも分からず、ただただ村長さんはじめ、村の住民は国の情報に翻弄されました。飯館村のドキュメンタリー「希望」を見ていたので、除染に期待し、帰りたい村長さんの思いはどうなるのだろうか?バスの中を貫くように高い放射線量に、住民はいつか帰還できるのだろうか?と胸が痛む。バスの中から見える景色は畑と山ばかり。畑と山の除染は本当にうまくできるのだろうか。原発事故は、原発の恩恵を一切受けていない30キロ圏内の村を襲い、人々を引き裂き、現在も人々の心を揺れ動かしています。誰もいなくなった飯館の農地は荒れ果て、ここにたくさんの農作物が本当にあったのだろうかと思うくらいに荒野が広がっています。

多くの山々の間だけ線量が高く、トンネルを抜けると線量がぐっと下がる。
不思議な感覚にとらわれます。見えない爆弾は美しい紅葉を奪い去りました。

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途中、南相馬市小高地区を説明してくださる、農民連の、三浦さん。小高地区は、津波被害のあと、多くの方がガレキの生き埋めになって人々が生存していたのにかかわらず、消防隊津波被害の多かった、浪江町請戸地区。今回許可証がなければ入れないところへ案内して連れてってくださった、農民連の三浦さんのご自宅前の欄干。


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ここは7月まで浸水して海の底だったそうです。ガードレールにはフジツボが。津波で押し流された欄干で、津波の大きさと強さを感じる。欄干のおかげで?反対側の三浦さんの家は美しく残っている。川沿いの実家は流されたそう。この橋の欄干の近くに、小高浪江原発建設予定地とそのための主要道路の建設予定があったことを教えてくれました。小高浪江原発を誘致していた土地のために、今は、放射性廃棄物仮置き場が作られているそうです。「もうここには戻れない。私たちは、地域の方々と話し合い、戻らないことにしました。ここで畑をする気になります?あっみんな農家じゃないからわかんないか^^」そう言って、三浦さんは笑います。美しい自然とともに生きてきた日本人の知らないところで、安全だと言い張り、原発を田舎に誘致し、人権を侵害していたことに憤りを感じます。




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三浦さん家のそばの請戸地区の欄干より見えるのは
現在、廃炉工事中の、「ふくいち」です。
山の右に、排気筒や、一号機の建屋カバーが見えます。ここで、5キロ圏内だそうです。福島市より空間線量が低いことに驚いてしまいます。降り注いだ放射能でガレキ処理もできず、放置状態の積み上げられたガレキや、車の数々。
もし、津波だけで原発事故がおきなければ、小高も請戸も二年半たった現在、復興が進んでいたでしょう。見えない恐怖を感じながら、荒れ果てていく大地をときどき来ては眺め、そしてこの地から離れ生きていく。
三浦さんは、時々ブラックジョークを交えながら、国に対しての意見を述べながらも冷静です。住み慣れた大地を放射能被害にさらされ、出ていかなくてはならなくなった三浦さんに気持ちを考えると、こうやって、少しだけ笑って話せるようになるまで、一体どれだけ泣いて暮らしていらしたのだろうと思うと心が痛みます。
鮭が遡上する美しい川に、多くの放射能は降り注ぎました・・・


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人々の生活を一気に奪う津波。
瓦礫のところどころに暮らしの跡が見えます。
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請戸小学校 ガレキに囲まれた小学校
403世帯あった海沿いの集落は津波で壊滅状態となった。
請戸小学校は、海から500メートルほど離れた場所に建っており、2011年3月11日は卒業式が行われていた。震災時、児童と職員が80人弱いたが、教師の誘導により高台に逃げたことで幸いにも、犠牲者は出なかったという。(福島民報より)


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津波でそのまま陸地に乗り上げた船。ここは7月まで、浸水したあと、陸地に戻りセイタカアワダチソウが咲き乱れています。


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三輪車がポツンと寂しそうに・・・・
人々の生活がここに本当にあったのだろうかという荒地に、一つだけ残った生活空間の跡。思わずシャッターをきりながら震える思いです。


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この、広大な土地には、2年半前 村落があったのです。

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使えなくなった線路には、草が生い茂り
遮断機も倒れたまま。。。

草原の中に、うっすら線路?
何とも言えない光景です。これが日本の姿だろうか・・・



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浪江の町並み・・・。あの日のままの店・・・
片付けを始めていたら、避難命令でそのまま
自分の店に帰れなくなる。ペットや大事なものを残したまま・・・?誰が想像できたでしょうか。立ち入り制限区域の報道のない現在。遠い地の仮設住宅で、みなさんどんな気持ちで生活をされているのでしょうか。。。。

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あの日から時が止まったまま。人のいない道路で信号だけが日々の生活が存在していたことを教えてくれます。
この場所では近隣町村で最大の祭り「十日市祭」が開催されていたそうです。


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浪江町の中心部にはかなり高いホットスポットが存在していて、するすると線量計が0.8マイクロ以上にあがっていきます。ここが一番高いかもと三浦さんに言われたとおり、バスの中を貫くように空間線量があがっていきます。。。


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スクリーニング場にきました。昼間だけ、許可証があれば家に戻ることができる浪江町の方々。立ち入り禁止区域に入るバスや人はこうやって、スクリーニングを行なってもらい、足裏の放射線量を計測してもらいます。この方たちの元の職業がとても気になりました。原発事故がなければ、もしかしたら、美味しい野菜を作っていた農家の方かもしれません。


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浪江町には、バリケードが多く残り、原発事故のものものしさを
リアルに感じてしまいます。これが同じ日本の国の中で存在していること。。。
現地を見慣れている人々と、初めて遭遇する私たちでは怒りの度合いが違うことと思いますが、生きる権利を奪われ、どんなに苦しんでいらっしゃるかと
心のそこから、憤りを感じ、この現実を伝えていかなくてはならないと
強く感じます。

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最後に、三浦さんが、向かってくださったのは、原発事故後、おそらく福島県の農民の中で一番に東電本社に泣きながら、乗り込んだ吉沢さんの  「 吉沢牧場  」

「原発一揆」~警戒区域で闘い続ける‘ベコ屋‘の記録
のドキュメンタリー本や映画「犬と猫と人間と~動物たちの大震災」
でも紹介される「希望の牧場」だ・・・・


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放射能が降り注いだ大地で被ばくしたのは、決して人間だけではない。生きるもの全てを見えない爆弾で汚染してしまった。樹木、美しい花々、そして動物、家畜・・・人間。
肉牛や、ミルクが汚染されてしまい売り物にならない。人を避難させることを優先にしたため
牛たちが警戒区域以外に逃げ出すのを恐れ、殺処分することを優先にした国の方針。
それに憤りを感じ、吉沢さんは、勇気あるボランティアさんと一緒に牛を殺処分されないよう立ち上がる。
「絶望の淵で、生まれた希望の牧場」そうドキュメンタリー本の中で紹介される牧場。
美しく青々とした立派な牧場は綺麗でまさかここに多くの放射能が降り注いでいることなんて忘れてしまいそうだった。

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だが、線量計はいままで見たこともないような数値でアラーム状態。
バスの中でこれほどに線量があがるとは、本当に外でどれだけ被ばくをされているのか。。。
三浦さんは、吉沢さんの体調が思わしくないことを話された。また居住制限区域で生活しているため、吉沢さんには補償がないことも。。。(吉沢さんは、サマショールと呼ばれる、チェルノブイリで勝手に生活する人ではない。牛たちのために、最後まで戦う人なのに・・・)
話を聞いているだけで胸がいっぱいになった。
東京でのデモ行動、ブログでの牛の様子の発信、ボランティア募集など、
吉沢さんは今も、積極的に戦っていらっしゃる。吉沢さんはこのときいらっしゃらなくて、短い時間でバスの中だけでの訪問なので、お会いすることはできなかったが、これほどまでに強い男性が世の中にいるのだろうかと本を見て、感無量だった。吉沢さんが幸せになるよう少しでも発信という形で協力したいと思う。最後に三浦さんは教えてくれた。「福島を忘れないでほしい。こういう形で、見に来てほしい。いつでも案内するから」。と・・・私たちは、現実を受け止め、心の底から原発の火をみんなの力で止めるためにも、発信し続けなくてはならないと感じた・・・。



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